■ あなたの会社、強くしてみせます!
『経営力UP連続セミナー』開催中です
毎月開催している『経営力UP連続セミナー』も、早いもので年末が近づき、来年4月以降のセミナー内容の検討を始める時期になりました。
12月11日開催の『TFSグループ感謝の集い』では、これまでのセミナー総括も含めて、上甲晃先生(松下政経塾元副塾長)の基調講演とともに、様々なサプライズも用意して、多くの顧問先様に感謝の気持ちをお届けしたいと思っています。
毎月のセミナーを通じて、経営者・ビジネスパーソンとして必要な知識を多角的な視点から習得し、経営力向上につなげていただきたい・・・そんな想いで、毎回皆様をお迎えしています。
新しく参加された“ホットゲスト”の方も温かくお迎えし、セミナー開始前の名刺交換会、セミナー終了後の懇親会もかなり盛り上がって、新しいビジネス交流にもつなげていただいています。
ファミリー感覚いっぱいの楽しいセミナーですので、お誘い合わせて、どうぞお気軽にご参加ください。
■ 渋沢栄一翁『論語と算盤』に学ぶ!社長力UPセミナー
10月31日、渋沢栄一翁を語っていただいたのは、玄孫(孫の孫)・渋澤健先生。まさに栄一翁を語るに、この方に勝る方はいないゲストにお越しいただきました。懇親会にもご参加いただき、大変に盛り上がりました。
渋澤健氏は、私と同じ1961年生まれ。子供の頃からアメリカで育ち、社会人になって帰国してからも外資系企業に勤めていた健氏にとって、栄一翁はあまり強く意識した存在ではなかったとのこと。
栄一翁を意識し始めたのは、10年ほど前。
独立して起業を意識し始めた頃とのことでした。やはり独立を意識すると、近代日本の経営者の原型を創った栄一翁の存在が、自然のうちに浮かび上がってきたのでしょう。
■渋沢栄一翁の生い立ち・・・封建社会の矛盾への憤り
江戸時代末期の1840年、現在の埼玉県深谷市に生まれます。
生家は畑作、養蚕、藍問屋業などを手掛けていた農商家。なんと7歳で論語を読んでいたともいわれています。
当時の支配階級である武士の家に生まれなかった環境が、封建制度下の限界や矛盾について強い不満や憤りを抱く視点につながった、と健氏は語られます。そして、当時としてはかなり恵まれた教育環境にあり、学問によって知識を吸収するにつれて、不満や憤りを膨らませていくのです。
13歳の頃には、すでに藍葉商として認められる存在に・・・さして能力もないのに武士に生まれたというだけで社会を支配している理不尽な階級制度への憤りが増していきます。
「智」と「情」と「理」をもって才能を発揮する人物が、新しい社会制度を創られなければならない・・・という理想を育んでいったのも、この若い頃だということです。
23歳の時、腐った日本を改革するには幕府を倒すしかないと考えた青年・渋沢栄一は、高崎城を乗っ取り、横浜の外国人居留地を焼き討ちする計画まで立てます。寸前までいった決起が実行されていたら、今日の近代資本主義はなかったのかもしれません・・・。
■ヨーロッパ視察が、
「日本資本主義の父」を生むことに
幕藩体制に不満を募らせるなかで、1863年、ちょうど明治維新の5年前、故郷から京都へ。一橋慶喜の家来・平岡円四郎との縁がきっかけでしたが、後に平岡は水戸藩志士によって暗殺されてしまいます。
栄一翁は、仕えていた一橋家で、有為な人材採用、領内貿易の合理化、藩札の流通化などに手腕を振るうのですが、こともあろうに一橋慶喜が第15代将軍に任命されるのです。
幕藩体制に不満を募らせていた青年が、なんと今度は幕府・将軍家の一員に・・・「国の発展に努めるという目的に沿っていれば、手段は柔軟で良い」という気概で、今度は幕臣の道を選ぶことに。結局、その時の決断が明治維新以降の幸福の扉を開いた、と玄孫・健氏は語ります。
1867年、徳川慶喜の弟・昭武のパリ万博視察のための渡欧に随行。
この欧州視察で、西欧流の資本主義を実際に肌で体感したことが、その後「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一翁に大きく影響を与えることになるのです。
■海外経験と経理の力が評価され、明治政府に請われる
明治維新後の1869年、外国で得た知識をもとに、商法会所という合本会社(株式会社の前身)を静岡で創設。今でいうノンバンク。農家や商家へのお金の貸付、物品売買などをスタートするのです。
同年、明治新政府から「民部省租税正(現在の財務省主税局長)」の辞令。徳川慶喜が隠遁生活をしている静岡の地に留まって、日本の商業を繁栄させたいとの想いから、東京にいる大隈重信・大蔵大輔(現在の財務大臣)に断りに行くも、説得されて租税正に。
後に、民部省改正掛長(いわば構造改革局長)も兼任し、全国測量、度量衡改正、租税改正、紙幣制度、鉄道敷設等々の大きな改革を、次々と手掛けることになります。
■ナショナル・バンクを創設・・・銀行の本質を語る
日銀から百歩ほど、日本橋兜町のある場所の写真を示して、この地になにがあったと思いますか・・・と質問する健氏。
そこは、第一国立銀行発祥の地。
1873年、アメリカの例を参考にして日本にもナショナル・バンクを設立する「国立銀行条例」を栄一翁が提案。バンクを金行にするか銀行にするか、当時はかなり迷ったという裏話も・・・。
国の条例によって設立したという意味で「国立銀行」となっているものの、資本はあくまでも民間。合併の歴史を繰り返して、今ではみずほ銀行となっています。栄一翁は、その後なんと44年間にわたって頭取を務めています。
銀行は、大きな河のようなものだ。銀行に集まっていない金は、溝に溜まっている水やポタポタたれている滴と変わりない。
折角、人を利し富ませる能力があっても、その効果は表れない。
(第一国立銀行 株主募集布告)
健氏の解説を聞きながら、140年も前に銀行の本質を語り、実際に設立に漕ぎつけた先見の明に感嘆します。
■約500の企業、約600の非営利法人に関わった栄一翁
渋沢栄一翁が関わった企業は約500、非営利活動団体は約600。
王子製紙、東京海上日動火災保険、日本郵船、清水建設、東京電力、東京ガス、IHI、帝国ホテル、サッポロビール、東宝、りそな銀行、三菱東京UFJ銀行、川崎重工、そして先の第一国立銀行等々・・・今でこそ名称・組織等は変われども、様々な会社の創設に関わっていることに驚きます。東京商法会議所(今の東京商工会議所)、東京証券取引所等の創立にも関わっています。
教育・慈善事業に関しても、1874年に東京養育院を創立して56年間院長として携わったほか、一橋大学、東京女学館、日本女子大学、早稲田大学、二松学舎大学、聖路加国際病院、東京慈恵医科大学病院、日本赤十字社、国際平和議会等々の設立にも尽力。
1909年、69歳になると多くの企業や団体の役員を辞任。
その後も世界情勢の動向を気にかけ、歴代のアメリカ大統領と会見するなど、アメリカのメディアからは「日本のGrand Old Man(長老)」と称され親しまれるほど。
欧米のみならず、アジアとの外交にも力を入れ、1903年にインドとの友好促進のため、大隈重信卿とともに日印協会を創設、1914年には日中経済界の提携を目指して、中国訪問。
「アジアとの協調なくして日本の繁栄はない」との大きな流れを見通していた栄一翁。まさに松下幸之助翁と同じ世界観・時代感。
1931年、91歳で逝去。
■「資本主義」⇔「合本主義」
今の「資本主義」と、栄一翁の唱えた「合本主義」の違いについて、健氏がふれました。
「資本主義」は、選別する能力を重視。
優位性、有益性が問われる。
英語ではcapitalism、どちらかというとORの世界。“頭”の世界。
「合本主義」は、散らばった資源を合わせれば大きな力になることを重視。一滴一滴が集まれば、大きな流れになる。
共感性、有効性が問われる。
英語ではcorporatism(組織化)、どちらかというとANDの世界。“体”の世界。
今の日本にとって、どちらが必要なのか?
今こそ、原点回帰が求められているのでは・・・と語る健氏の切り口は、方向性を見失いつつある日本経済の羅針盤ともなりうるひと言のように、私には感じました。
■言葉という財産を残してくれた・・・
道徳経済合一説を唱えて、91年間を生きた渋沢栄一翁。
玄孫の健氏いわく、「言葉という財産を残してくれた」
投機ノ業タルハ道徳上賤ムヘキ務ニ従事スヘカラス(渋沢家家訓より)
2008年に投資顧問会社をスタートする際、投機に従事すべからずと遺した家訓が、とても気になったそうです。
『元気振興の急務』
頃日来社会の上下一般に元気が銷沈して、諸般の発達すべき事柄が著しく停滞し、来たやうである。
これは要するに、社会が銷々秩序的になった共に、人々が何事にも慎重の態度をとるやうになって来たから、その余弊として、斯の如き現象を見るに至ったことであらう。
其の日其の日を無事に過されへすれば、それでよいという順行のあるのは、国家社会にとっても、もっとも感嘆すべき現状ではあるまいか。
我国の有様は、是迄やり来た仕事を大切に守って、間違いなくやって出るといふよりも、更に大に計画もし、発展もして、盛んに世界列強と競争しなければのである。
老人が懸念する程に、元気を持って居らなければならぬ筈であるのに、今の青年は却て余等老人から「もっと元気を持て」と反対な警告を与へねばならぬ様になって居る。
危険と思はれる位と謂うても、余は敢えて乱暴なる行為や、投機的事業をやれと進めるものではない。
堅実なる事業に就て、何処までも大胆に、剛健にやれというのである。
栄一自身も常に、『枠』を飛び出した人生ではなかったか。
『枠』の内側に留まるな!そんなメッセージが聞こえてくる。
・・・言葉という財産を、栄一翁は残してくれたと語る玄孫・健氏。
まさに、閉塞感に覆われた今の日本へのメッセージのよう。
■論語と算盤
『合理的の経営』
その経営者一人がいかに大富豪になっても、そのために社会の多数が貧困に陥るようなことでは、その幸福は継続されない。
『論語と算盤は甚だ遠くして、甚だ近いもの』
正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができない。従って、論語と算盤という懸け離れたものを一致させる事が、今日のきわめて大切な務めである。
「論語と算盤の本質は、持続性(サステイナビリティ)」と指摘。
さらに、「論語と算盤が、車の両輪として同じ大きさで回ると、前に進んでいく。車輪が大小では同じ所をグルグル回るだけ」と語る健氏。
「現状維持」=資源や利益を先食いしてしまい、結局はツケを後世に回すことになってしまう。
「持続性」=ヒト・モノ・カネ、そして時間などの資源を再配分することであり、富を永続することにつながっていく。
「持続可能な社会」というキーワードが語られて久しいですが、既に栄一翁は「論語と算盤」の中で社会持続の本質を見抜いていたと知って、
洞察力の深さに、本当に感銘しました。
もう一つ、大事な3つの視点。それは・・・
智(wisdom)
情(emotion)
理(will)
健氏は、この3つがバランスを保っていくと、大きく発展していくとも指摘。 多くの参加者が熱心にキーワードをメモしていた姿が、とても印象的でした。
■理財に長じる人とお金
『能く集め、能く散ぜよ』
能く集め、能く散じて、社会を活発にし、従って経済界の進歩を促すのは、有為の人の心懸くべきことであって、真に理財に長ずる人は、能く集むると同時に能く散ずるようでなくてはならぬ。
お金とは、水みたいなもの。
全くなくても、生きていけない。
あり過ぎても、泳ぎ方(使い方)を知らないと溺れてしまう。
水も循環しないと、濁ってしまう。循環すれば、清らかになる。
お金も一緒で、止まらず循環して清らかにしていったほうが良い。
「理財に長じるお金の使い方」に関する健氏の解説に、参加者一同、なるほどなぁ・・・と大きく頷くばかりでした。
■派遣労働者雇用安定化特別奨励金
栄一翁の好きな論語の一説に、このようなくだりがあります。
子曰く、
これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。
行動を起こすためには:
@ 物事を知ることは大事。
A 知ることより、好きであることが大事。
B 好きであることより、楽しむことが大事。 |
渋沢栄一翁の人生の本質は、「与えられた人生を、真に心から楽しむことにあった」とする健氏。
500に及ぶ企業の創設も、民間外交も、論語の精神を経済活動に応用することも、どれもこれも栄一翁にとっては、心をワクワクと躍らせる作業だったというのです。
大成功する人は、人生をメチャクチャに楽しんでいる人。
毎日、心を楽しんで生き、新しい試みに取り組み、成功させ、富を築き、永続させる・・・そんな渋沢栄一翁のライフスタイル=人生成功の法則を身につけていただければ、と健氏からのメッセージです!
平成24年(2012年)11月
TFSグループ 代表
TFS国際税理士法人 理事長
山 崎 泰 |
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