■まるで、ドラマのよう!!
上甲晃代表率いる「志ネットワーク」の有志が
1996年以来、毎年バングラデシュを訪れ、バングラデシュ・プロジェクトがスタート。
日本人として、当初まだアジア最貧国といわれたバングラを知るとともに、バングラ人にも日本を知ってもらうことにより、将来のバングラの成長を後押ししてこうという・・・長期的なプロジェクト。
スタート以来10年超が経った2008年、バングラに一人の青年塾生が降り立つのです。
青年塾は、上甲塾長が“青年の心に、志の樹を植えよう!”と、志ネットワークとまさに車の両輪のように活動している教育組織。
最初は、ベンガル語をまったく話せなかったその青年塾生。
最初は単身だったが・・・やがて、同じ志をもつ青年塾生と、バングラ支援の心を通じて結ばれるのです。
もちろん、最初は生徒ゼロ。ちょうど時期同じくしてバングラに進出した、HISダッカ支店の一角を借りて、日本語学校をスタート。
生活の危機を抱える苦難にも負けずに、日本語学校を運営し続ける。
そして嬉しいことに、やがて子供にも恵まれる・・・まさに“日本とバングラを結ぶ架け橋”のような、3歳の愛らしいお嬢さん。
経営が成り立たずに徹底しようと諦めかける彼を、志ネットワークの有志が、なんと2ヶ月近くも彼の家に住み込んで、日系企業に勤めるベンガル人への日本語教育の必要性を、彼と一緒に連日説いて回るのです。
そしてついに・・・5年後の今年2013年3月2日、5周年記念祝いとともに、晴れて“志 Japanese Cultural Center”立ち上げ!
まるで、ドラマのようです!!
私たち視察団一行は、記念すべきセレモニーの立会人!!
■すべては、ひとりのベンガル人青年から・・・
成田空港を発って、バングラデシュの首都・ダッカに到着。
そもそも、なぜバングラデシュ???
私の松下政経塾時代の同期生である山井和則氏(現・衆議院議員)が、
ひとりのベンガル人を、上甲晃氏(当時・松下政経塾塾頭)のもとに連れてきたことが、すべての始まり。
1990年頃・・・当時、政経塾も3年生以降になると海外研修や国内研修などで 茅ヶ崎の政経塾にはなかなか戻れない長期研修を行っていた時期と重なります。
山井氏も、その後北欧での海外研修。私もフィリピンでの海外研修や国内での選挙研修などで、茅ヶ崎から離れる日が続いていました。
そのベンガル人青年の名は、バリ氏。
当時、政経塾に隣接する上甲塾頭の自宅を彼が訪れた際、宮沢賢治の本をベンガル語で翻訳したいという彼の純粋な想いに、上甲夫妻は心打たれたといいます。
その後、1992年〜1993年にかけて、政経塾に海外インターンとして研修参加。
早朝から、トイレ掃除も一緒に参加したそうだ。
当時、私は茅ヶ崎にいなかったので、バリ氏のことをこれまであまり知らなかったのが、なんとも残念!
■世界最貧国と思っているうちに・・・チャイナプラスワンに成長
バングラデシュは、日本の約半分の面積に、1.5億人(統計がないので、一説には2億人とも・・・)。
進出している日本企業は、まだ158社・・・いわば、未開拓市場。
良質な労働力、親日的な感情というバックグラウンドもあり、チャイナプラスワンの有力な候補。
GDPは、一人当たりGDP700ドル。
バングラデシュの経済はこの10年間、毎年平均6%超の成長率。
成長し続ける経済が、大きな魅力。
私も長年、世界最貧国・バングラデシュを、一度子供達にも見せておかなければ、と思い続けるうちに・・・
いや未だに多くの日本人が、貧困に喘いでいる国と誤解し続けているうちに・・・
いまやチャイナプラスワンと目される国に急成長!
しかし、国土が川で分断されているゆえ、いわゆる工業特区のような、インフラが整っている、まとまった平地を確保することができないジレンマ。
道路インフラも整っていないため、移動にやたら時間がかかる。
外国から輸入した中古のガソリン車を、自国で採れるCNG車に改造して、広く普及させているが・・・いずれにせよ、インフラが整っていない!!
人口密度が高いので、毎年地価が上昇。
場所によっては、3年毎の家賃更新時には、家賃3倍!!
マクドナルドのない、世界でも珍しい国。
輸入関税が、マクドナルドの低価格戦略を吸収しきれないのです。
その割に、KFC(ケンタッキー・フライドチキン)などの外資系レストランチェーンは、街中でも賑わっています。
老若男女問わず携帯、そしてスマートフォン(特に若者)を持ち、多くの家庭でテレビを所有。
最大の輸出産業は、繊維。
一部の富裕層を中心に、日系の化粧品販路も伸張。
チャイナプラスワンの大きな魅力のひとつが、豊富な労働力。
数百人の応募者が、工場の前に出した募集張り紙一枚で集まったこともあるという・・・まさに、20年前の中国。
バングラデシュにおける労働者の最低賃金は、月4千円程度。大卒でも1万円以下。
こんな、いまのバングラデシュに・・・
上甲塾頭曰く、
バングラには、日本からのODAで出来た橋が数多く架かっているが、
“コンクリートの橋”ではなく、“志そして文化の橋”を架けていきたい!
■インフラと並ぶ、もうひとつの最悪・・・政治!
そして、忘れてはならない・・・インフラと並ぶ、もうひとつの最悪!
それは、政治!!
40年以上も前のバングラデシュ独立戦争の際の怨念を、なんと今も引きずっているのです。
パキスタンからの独立支持派の与党「アワミ連盟」VS独立反対派の最大野党「バングラデシュ民族主義党(BNP)」が、今も対立を繰り返す。
その対立も、この20年間、決まったように政権がたらい回しされていくのだから、不思議です。
5年間「アワミ連盟」が政権を担った後
⇒次の5年間は「BNP」
⇒次の5年は「アワミ連盟」
⇒次の5年は「BNP」
それが、指名ではなく選挙で代わっていく!
予定調和ではないかと疑うくらい、世にも不思議な現象なのです。
この20年間、バングラの首相になったことがあるのは、女性の二人だけ。
これもたらい回し??
「アワミ連盟のハシナ女史(現首相)」と「BNPのジア(前首相)」が、政権交代のたび交互に首相・・・これまた不可思議な現象。
20年間で、この2人しか首相になった人はいないのです。
日本では、到底考えられません!!
■政党の生死をかけたゼネスト
さらに、ちょうど私たちの着いた2月27日。
イスラム協会の副党首、デルワー・ホサイン・サイディー氏(73)への無期懲役判決。1971年にバングラデシュがイスラム教国のパキスタンから独立を宣言した際、強く反対したサイディー氏が、ヒンズー教徒を虐殺したり、イスラム教への改宗をヒンズー教徒に強要したりしたという嫌疑です。
これに対して、戦争犯罪者に対して無期懲役では甘いと、与党「アワミ連盟」の支持者が反発。
反対に、「イスラム協会」+イスラム教会と協力関係にある最大野党「バングラデシュ民族主義党(BNP)」は、冤罪と主張。
なんと翌28日には、最高裁で無期懲役が破棄され、死刑判決が出させるのではという憶測通りの結果に・・・
こうして、対立と暴動が、日々激しさを増していくのです。
今回のゼネストは、長年の対立に加えて、「BNP」と連携するイスラム政党「イスラム協会(JI)」幹部を死刑判決で葬り去ってしまえば、
BNPは単独では過半数をとれず、BNP+JI=過半数=政権交代という、これまで繰り返されてきた構図を断ち切ることができる・・・という、まさに政党の生死をかけたゼネストそして暴動なので、まだまだ予断を許さない。
まさに、もうひとつの最悪・・・政治です!!
■ユニクロのバングラ進出が、大きな転機!
バングラデシュ、Q-TECH(日本繊維製品品質技術センター)の視察。
同国で生産される繊維製品の品質管理を行う技術センター。
ホルムアルデヒド等の安全性から色落ち等にいたるまで、幅広くチェックを受託する機関です。
ダッカにLAB(研究所)を開設して3年。
アパレルの生産拠点だけをとってみても・・・中国中心だった時代から、バングラデシュなど、いわゆるチャイナプラスワンといわれる地域に、確実に南下してきています。
バングラデシュへ進出している日系企業は、ここ3年間で急増。
繊維に関しては、バイヤーがバングラなど現地に来て現地工場に発注。
Q-TECHも、これまでは中国製が9割以上だったのが、今では8割を切って、ベトナム・ミャンマー・バングラなどに生産拠点が流れています。
そして日本へ輸出する繊維製品として、伸び率がもっとも高いのはベトナム。
バングラデシュは、繊維輸出大国。
縫製工場は、約4,500社。
バングラデシュの一番の魅力は、安い労働力。
2008年、ユニクロが現地事務所を拓いたことが、バングラが大きく注目されるようになったきっかけとなりました。
2012年、H&Mも進出。CEOが電光石火のようにバングラデシュを訪れ、2倍増産を宣言したことで知られます。
日本のように、小ロットで納期が短い発注は、どちらかというとバングラでは敬遠されがち。その点、欧米市場がメインのH&Mなどは、大ロットで加速度的に増産していくことができるのです。
例えば日本のイトーヨーカドーなどは、製品を仕入れた段階で、すでに原価の40%ほどの利益が乗っています。
それに対して、自社で糸を仕入れ〜生産すれば、原価率5〜10%。クレームや返品リスクなども原価計算上、織り込み済み・・・現地生産したほうが、はるかに利益が出るというわけです。
■日本語レッスン、本領発揮!!
現在、Q-TECHのシンガポールLABは、日本人社員2名・現地スタッフ13名体制。
3年間かけて日本語レッスンをしたおかげで、いまでは電話応対はすべて日本語に。
通常業務の指示は、日本語+英語。
バングラでは、大学を出てもなかなか就職先がない状況のなかで、日本語を習得することにより、就労の幅が広がることは確か。
「日本語を学ぶようになって、語学だけでなく、品質をチェックするスキルも上がったように思います。それは、日本語を学ぶことを通じて、日本人のもつ精緻な性格、勤勉性、正確性などもベンガル人が育んでいってくれたように思うのです。」
まさに品質管理の最前線に立つ日本人管理職から、こんな嬉しいコメントも・・・。
しかしながら、まだまだ外務省やJICA関係者が多く、一般の民間企業関係者は少ない現実。
日系企業がよりバングラに目を向け、進出や市場開拓することにより、日本語を学ぶベンガル人が増え、日系企業への就労機会増え、バングラ産の製品品質が上がるような・・・そんな好循環を期待したいものです!
■日本とバングラ・・・暮らすなら、どっち???
その後、とてもユニークな企画・・・
バングラ進出日系企業のご主人を支えておられる奥様方との昼食会。
小さな子供連れの方も多く、レストランは、さながら運動会のよう。
でも日本とはかなり感覚が異なり、バングラでは(地域で育てるという)子どもに対する寛容度が、高いことも実感したのです。
少し、ナマの声をご紹介すると・・・
★子どもは、バングラから離れたくないといっている。
現地の人がとても温かく、こどもの願いを何とか叶えて上げようという気風がある。
★お手伝いさんなどのサポートしてくれる人が身近にいて・・・子どもはお手伝いさんを家族だと思っているくらい。
職住も近接していて、心に余裕ができる。お手伝いさんも含めて、大家族で子どもを育てている感じ。
核家族の日本で、母子だけでいるときよりもずっと心に余裕ができる こともあり、子育てがしやすい。
★以前、ゼネストでお手伝いさんが来れなかったとき・・・天と地くらいの違いがあることを実感。
食事、買物、掃除、料理、ベビーシッター、衛生管理等々、その有難さを痛感している。
★子どもに対する社会の対応が、とてもやさしい。
日本では、小さな子供を連れてレストランに行くのはとても肩身が狭いが・・・バングラでは、子供連れで行くと回りのみんなが心にかけてくれて、かえって居心地が良いということも。
★人と人との距離が近い・・・自分が道端で行き倒れていたら、誰も知っている人がいなくても、見知らぬ誰かが必ず助けてくれる、という安心感のある国がバングラ。
ベンガル人からしてみれば・・・満員電車やエレベーターのなかで、顔と顔を身近で合わせているのに、無言でいる日本人のほうが不思議といった感じ。
★1ヶ月の生活費・・・食費3万TK(1TK=約1.3円)、日本人学校の月謝2万TK、家賃2万5千TK、運転手1万TK、お手伝いさん(2人)8千TK+6千TK。
ただし、大使館駐在員などは家賃6万〜15万TKの所に住むことも。
大使館に最も近いエリアは、なんと家賃20万〜60万TK。
インフラ整備が悪く、良好な住空間が少ないこともあり、家賃が急上昇している。
外食費・・・日本人と行くランチなら1000TKくらい、地元運転手は100TKくらいで済ましている。
★外食をしなければ、生活費はかなり安く抑えられる。
・・・牛肉350TK/Kg、トマト30TK/Kg、鶏肉300TK/Kg。
しかし、米の値段は数年で3倍に。日本米は、100TK/Kg。タイ米なら、30TK/Kg。
ベンガル人は、塩と唐辛子をおかずに、とにかく米をたくさん食べる。
★バングラで心配なのは、医療・衛生。とくに小さな子どもがいると、とても心配。
高度医療が必要なときは、タイやシンガポールの病院に。
保険会社はあるが、保険に入っているというベンガル人を見たことがない。
★合計特殊出生率・・・兄弟は6〜7人だが、母親が産んだのは10人くらいというように、幼い頃の死亡率が高い。
5年前くらい、子どもは2人くらいまで、大事に育てて、教育を与えて、病気になって死なせないようにしよう・・・という旨の政府のキャッチ・コピーが出ていたくらい。
★教育に関しては、日本語学校、インターナショナルスクール、アメリカンスクール、フレンチスクールなどに行くケースが。
ベンガル語は教えないが、週に1時間くらいはバングラを知ろうという授業がある。
娯楽・・・国内での娯楽は皆無。せいぜい近隣国へ旅行に行くくらいか。
めったに聞けない、こんなナマの声。
子育てに関して、人件費の安い外国人メイドや運転手などのサポートで、少し心のゆとりを持って、大家族のように育てるバングラ。
かたや、核家族化のなかで、企業戦士のご主人が不在がちで、母子二人で過ごす時間の多い日本。
どちらが幸せなのだろうか・・・思わず考え込んでしまった、貴重な昼食会!!
■バングラ人・・・一番好きな国は日本!
最後に、バングラ人の特性を端的かつ明瞭に言い表した、日本大使館でのブリーフィングを反芻しながら、バングラ・レポートを締めくくります。
バングラデデシュ独立、1971年12月19日。
独立戦争から41年も経って、いまだに戦争犯罪者の裁判で、国論が二分。若い国内外の学生も、正面から立ち向かっています。
バングラ人のもつ特徴的な性格・・・非常にウェットであること!
普段は従順でおとなしいが、一度心に火がつくと、手がつけられなくなる・・・裁判の行方に暴徒化する気性も、そこからきているのだろうと思います。
一番好きな国は、日本。
それゆえ、日本人として、とても入りやすいけれど、一度関係がもつれたら修復しにくい面も。
また感情が豊かであるだけに、文化や芸術など感情をいろいろな形で表現することにも長けているのです。感性のあるところに、イマジネーションがあり、想像力にも長けた国民。
手先が器用なので、クラフトマンシップなどにも向いています。
スピードは決して速くないが、言われたことは従順にきちんとできるのがバングラ人。
■日本企業進出のポイントは?
日本企業進出のポイントは、
現地で信頼できるパートナーを、いかに見つけるか!
それも、政治力も含めた力強いパートナーを。
そもそも、現地での会社立ち上げ自体、手続きが煩雑・・・会社定款はオンライン上で出来るにしても、システム自体が複雑なのです。
なおかつ、地場産業を保護する力学が働いている中に出て行く以上、どんな場面でもパートナーの必要性を痛感します。
どこに進出するのか?
国内に8箇所ある、輸出加工区(EPZ)・・・いわゆる特区に進出するのが、ベストの選択肢。
しかしながら、国が川で分断されているような地形の中で、インフラを整えた特区をつくる場所がないのが、大きな難点。
残念ながら、今はまだ新しい特区確保の目途は立っていません。
■バングラ人のキーワード・・・オビマン???
バングラには、“オビマン”というキーワードがあるといいます。
言ってみれば、プライド、エゴ、ジェラシーといったところ。
バングラ人にとって、この“オビマン”が機能すると、特殊な感情や行動が働くというのです。国民の長年の夢であった橋建設に対する、世銀融資を断ったケースは、まさにその際たる例。
ことほどさように、バングラ人は心の動きで物事を判断していくことが、往々にあるようです。プライドの高い国ゆえ、プライドを傷つけないように!!
民主化して22年。しかし、民主主義の経験はゼロ。
国会議事堂という立派なリングができたのに、誰もリング上で戦おうとせず、場外乱闘だけ…。
ゼネスト、選挙ボイコット、議会ボイコット等々。
変化に期待する気持ちが、国民には強いせいか・・・これまでは、図ったように5年ごとに政権交代。二度続けて、同じ政権が続いたことはないのです。
言ってみれば、この国の歴史はまだ40年・・・だから人間の年齢いえばまだ1歳くらい。
まだまだ成長途中、成熟していないともいえるかもしれません。
■決して休まないバングラ人には・・・誰も敵わない?!
バングラ人は決して個人主義者ではありません。
グループ主義者といえるでしょう。
グラミン銀行でノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が、5人組の連帯債務組織をつくったのも、グループ主義の国だからです。
最後に、バングラ人は、国づくりにコツコツと熱心に取り組み続けるという、強い性格があるのです。
ゆっくり歩くが、決して休まない“強い志”!
そんな人には、誰も敵わないかもしれません。
平成25年(2013年)4月
TFSグループ 代表
TFS国際税理士法人 理事長
山 崎 泰 |
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